【展覧会感想】奈良国立博物館「第72回 正倉院展」

【美術館HP(展覧会ページ)】 

【会期】10/24(土)~11/9(月)
会期中無休

出陳宝物リスト

※前売日時指定券は全日程すでに売切 当日券なし 

毎年恒例

私個人的には毎年恒例の展覧会です。奈良に来てから行かなかった年は1,2回だけ?かと記憶しています。何はなくとも1回行く、そういう展覧会です。奈良の人にとっても「正倉院展の時期」というのは特別で、お商売としても、街の雰囲気にしても活気づく時期です。お祭りに近いものがあります。

今回は子どもと一緒に見に行ってみました。すったもんだありましたので、それもまたお付き合いください…

コロナ禍での開催

今年は特別な開催になったと思います。いつもよりだいぶ人数を制限しての開催になり、行けない方も出てきています。その分、いつもよりコアなファンが来られているような気がします。
一時期は全ての展覧会がストップしていたことを思い出すと、いろいろな工夫と努力の上に開催され、無事に見に行けたことを感謝したいと思います。

毎回確認していること

正倉院展に来たら、毎回確認していることがあります。
それは、私のアイコンに使っている「呉女面(ごじょめん)」が出陳されているかどうかです。今回も確認しましたが、出陳されていませんでした。残念です。保存状態が良くないのか何なのか、10年以上見ていない気がします。

他の伎楽面は数点出陳されていました。子どもに見せてみたら、キャッキャッと笑っていました。どうやら人の顔っぽいことは認識できたようです。今まで展覧会に連れてきても積極的に作品を見せることはなかったのですが、ちゃんと反応が返ってきて感激しました。これが初めての鑑賞体験として言っていいかなと思っています。

今回の展示で興味深いもの

今回の出陳されているものは結構大人しめというか、渋いラインナップだったように思います。華かやさで言ったら、「よみがえる正倉院宝物」展の方が見所多いような気もします。

その中で興味深かったのは、光明皇后が聖武天皇の四十九日に天皇の遺愛品とともに献納した薬の材料の数々。大陸から伝わったであろう、いわゆる漢方薬の類や化学物質の塊のようなものが出陳されていました。まだ科学の発達していない時代にどのような医療を施していたのか、とても気になります。

その献物帳である「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」もじっくり目を通してみたいですね。なんせ60種もありますから。

この薬物の献納について、「五色龍歯」の解説には以下のようにあります。

聖武天皇の四十九日に当たる天平勝宝8歳(756)6月21日、お后の光明皇后は聖武天皇の遺愛品とともに、薬物60種を大仏に献納した。献物帳の『種々薬帳(しゅじゅやくちょう)』には、堂内に安置して仏を供養するために献納するが、もし病に苦しむ人々がいれば薬を分け与えて良いとし、また彼らが亡くなった場合には花蔵世界(けぞうせかい)(盧舎那仏(るしゃなぶつ)=大仏の世界)に生まれ変わるよう願っている。光明皇后は以前より悲田院(ひでんいん)や施薬院(せやくいん)を創設するなど病人や孤児の救済に尽くしていたが、薬物の献納はその活動の一環に位置付けることができる。

https://www.narahaku.go.jp/exhibition/2020toku/shosoin/2020shosoin_index.html

もし病に苦しむ人々がいれば薬を分け与えて良い」とはなんてお優しいんでしょうか光明皇后は…光明皇后のエピソードは福祉の精神が備わっているというか、本当に慈愛に満ちていると感じます。
光明皇后は遠い昔の、とてもとても身分の高い人物です。しかし、その人となりのようなものを宝物や文書から感じられる喜びが正倉院展にはあります。なので、毎年来てしまうのです。

今後の展覧会のあり方を考えさせられる

私が学生だった時、学芸員資格を取るための必須科目「博物館経営論」(だったと思います)では、外部の講師の方が授業をしてくださっていました。その方が奈良博の学芸員(現・学芸部長)の内藤栄先生でした。

博物館の在り方から実際の業務の流れまで講義してくださり、とても興味深く受講していました。その中で正倉院展の話になり、先生が「正倉院展は今や10万人、20万人の方が来てくれる展覧会。奈良国立博物館はそこで1年分の集客を稼いでいる。それによって、他の特別展の時期に各学芸員の研究成果を出す、“攻めた”展覧会を開催することができている」というような旨をおっしゃっていました。

その頃、正倉院展がものすごく混み始めて個人的には「正倉院宝物の保存修復がメインで、展覧会はおまけみたいなものなのに、なんだかなあ」と思っていたのですが、これを聞いて「なるほど!この状況が博物館にとってプラスになることもあるのか」と強く印象に残っていました。

マスコミが主催となる大きな展覧会で「とにかく集客ありき」というスタイルはコロナ禍では推奨されません。実際、正倉院展ではかなり人数が制限されました。そうなると、以前に先生がおっしゃっていたことはできなくなってしまいます。稼ぎ頭で稼げない状況になるのですから。今後どういう形で展覧会、博物館が企画運営されていくのか?安心安全と集客は両立するのか?その方法はあるのか?…そういった事柄にも思いを巡らせた今回の正倉院展でした。これからも注視していこうと思います。

おまけ1:ベビーカーなしで大苦戦

今回、子どもを連れて行くにあたりベビーカーで行きましたが、それが失敗でした…

それに気づいたのは、検温も済んで「あとは中に入るのみ」と回廊を進んでいるときでした。そこでベビーカーでは中に入れないと言われました。その日は抱っこ紐も持ってきていなかったので万事休す。

あとで確認しましたが、入館・観覧についての諸注意のPDFには書いていました。(そこまでは見なかった…)

戻って無料預り所にベビーカーを預け、抱っこで入ることに。子どもは10㎏、いつも重いので長い時間は抱っこできません。でも抱っこしないと見られない。もうここは気合で行くしかないと腹を決め、飛ばせるところは飛ばし、何とか見終えることができました。腕が死にそうでした。

なので、今回の感想はなんだか例年よりあっさりな感じになってしまいました…

コロナ禍でただでさえ注意事項が多くなっています。子連れなど身軽でない状態のときは毎回ちゃんと注意事項に目を通して、万全の体制で行くべきだなと勉強になりました。

せんべいも無いのに近寄ってきた鹿

おまけ2:特別公開情報

奈良国立博物館に立て看板がありました!

【旅行】信貴山 朝護孫子寺

信貴山 朝護孫子寺 HP

【宿泊】2020年9月19日・20日 信貴山観光ホテル

奈良県民限定宿泊割引を利用して

シルバーウィーク中は家族で信貴山へ旅行に行きました。
 
少し前に奈良県民限定の宿泊割引キャンペーンが発表され、運よく1人21,000円分の高額なクーポンをとてもお安くゲットできました。日帰りでも行ける信貴山ですが、これまで行ったことがなかったので、泊りでゆっくりすることにしました。

初めての信貴山

信貴山といえば、朝護孫子寺。寅(のモチーフ)がやたらといるお寺です。
その歴史は古く、聖徳太子が物部守屋を倒すときに信貴山に来て毘沙門天を感得し、見事勝利したという謂れがあります。寅がやたらといるのは、毘沙門天が出現したのが「寅の年、寅の日、寅の刻」だったからだそうです。
 
今回、息子は初めての宿泊旅行でした。
親の荷物は本当に少なかったのですが、子どもの荷物はその何倍もありました。何も考えずベビーカーでお寺に行ってしまったのですが、今回は抱っこ紐で行くべきでした。とにかく階段、階段、階段…山だから当たり前ですよね。夫と二人でベビーカー担いでお参りしました。

国の登録有形文化財 開運橋 とバンジージャンプ

開運橋
駐車場に車を留めて信貴山に行くには、開運橋という橋を渡ります。
 
この橋の真ん中ではなんとバンジージャンプをやっていました!
いつ見ても体験している人がいて、見物人もパラパラと。見ているだけで肝が冷えますが、橋の名前にあやかって現状打破したいときはやってみてもいいかもしれません…
 
しかもこの橋は国の登録有形文化財。橋の工法が貴重なものということでした。
それにしてもバンジージャンプ凄い…
開運バンジージャンプ 受付は駐車場で

いざ朝護孫子寺へ

橋を渡って、まずは本堂を目指します。
途中で大きな張子の寅がお出迎えしてくれます。ここは記念写真スポットです!
大寅と本堂

赤門をくぐって左に進むと、かやの木稲荷があります。こちらのかやの木がご神木だそうです。お寺の由来もわかりやすく書かれていました。

榧木の説明
かやの木稲荷

そして大きな聖徳太子の騎馬像があります。北村西望作とのことです。

(このミニチュアが霊宝館にあり、その立て札にそう書いてありました。)

聖徳太子神像
融通殿でまずお参りし、階段を進みます。
 
本堂に上がる階段が一番急で、ベビーカーで行った私たちは、夫が子供を抱っこし、私がベビーカーを担いで登りました。マスクをつけながらなのでなかなか息が切れました。
ただ登りきると、さわやかな風が強く吹いていて、とても気持ちよかったです。天気も良かったので、奈良盆地の景色がきれいに見えました。
 
 
本堂にはご本尊の毘沙門天像が祀られています。
本当のご本尊は秘仏で、祈祷を受けられる方は内陣まで上がってお前立と毘沙門天の眷属である二十八使者像も拝尊できるようです。祈祷中のお坊さんの音声はスピーカーを通して、そのあたりにいる人々は聞くことができます。
本堂から奈良盆地をのぞむ
ムカデは毘沙門天の化身
代わりに「戒壇巡り」は体験しました。
 
他では「胎内めぐり」と呼ばれるものと同じだと思います。地下の真っ暗な回廊を進み、ご本尊の真下に当たるところで一つだけ願い事をするというものです。
 
私一人で中に入りましたが、少し進むだけで周囲から光がなくなり闇の状態に。さすがに方向感覚がなくなってきて、恐怖心も湧いてきました。回廊内に小さな明かりは要所にあり、それを頼りに進むと、干支の守り本尊のお堂、そして宝珠が安置されているというお堂の扉にたどり着きました。その錠前を握りながら一つお願い事をしました。さらに進んで出口付近で光が見えてくると安心できました。
 
不思議なことに真っ暗な所では安全第一で、余計なことを考えている暇がなく「無の時間」だったと思います。気分的にもすっきりしたように感じました。
 
 
 
戒壇巡り
本堂から降りてくるとすぐ霊宝館があります。思っていたより小さな収蔵庫のような建物でした。
 
美術の面でここを語るとしたら「信貴山縁起絵巻」は外せないでしょう。絵巻はレプリカが常時展示されていますが、毎年本物が信貴山で公開されています。残念ながら行ったときは公開されておらず、今年はもう少し先でした。
 
 国宝信貴山縁起絵巻特別公開(飛倉の巻)
  • 日時 10月31日(土)〜11月15日(日) 9時〜16時 
  • 場所 霊宝館 
  • 秘蔵三巻のうちの一巻を公開
  • 特別拝観料 個人400円、団体300円(15名以上)
レプリカでも各絵巻のハイライトを出してくれていますので、知らない方でも充分概要はつかめると思います。私はそれよりも武田信玄の書状や毘沙門天の仏画や仏像が気になりました。楠木正成の兜は重要文化財です。
信貴山も戦国時代には信貴山城があり、大河ドラマ「麒麟がくる」でも再注目の松永久秀の屋敷跡があったところ・・・松永久秀関連のものがあるか期待していましたが、それほどに残ってなかったようです。

小休止 古民家カフェ てぬき庵

そんなこんなでベビーカー連れで行ける範囲は行ったので、近くのカフェで休むことにしました。

古民家カフェ てぬき庵
古民家カフェてぬき庵さんでチーズケーキセット750円をいただきました。
 
このチーズケーキは米粉100%で、普通のケーキより蒸しパンに近いような食感でした。
息子が縦横無尽にずりばいしていっても、店主の方が気遣って下さりとても助かりました。お庭から吹き抜ける風が心地よくて、小休止にぴったりでした。
チーズケーキセット 750円

今日のお宿

今回のお宿は信貴山観光ホテル。
 
和室が2014年にリニューアルされてキレイだということと、宿泊プランがいろいろ選べる、温泉があるということで選びました。お食事も盛りだくさんで大満足。個人的には数年ぶりに温泉に入れたのがとても良かったです。
信貴山観光ホテル 天然温泉があります
信貴山観光ホテルの夕食
ホテルの部屋から開運橋をのぞむ

翌日も朝護孫子寺へ

さて翌日、チェックアウトした後も再び朝護孫子寺へ。
 
まだ回れていないところが結構たくさんあったのです。
その一つ、剣鎧護法堂。「信貴山縁起絵巻」延喜加持の巻の護法童子はここから出現したものです。林の中の小径を進むと小さな祠がありました。病気平癒にご利益があり、先客が熱心にお参りをされていました。
剣鎧護法堂 入口
あとは、塔頭の方もそれぞれ行ってみました。
朝護孫子寺には千手院成福院玉蔵院の3つ塔頭があり、それぞれ宿坊もやっています。子どものお風呂や食事などの関係で今回は見送りましたが、ぜひ宿坊にも止まってみたいですね。特に玉蔵院の日帰り/一泊二日の僧・尼僧体験は興味深かったです。
 
今回は千手院の「護摩の毘沙門さん」、銭亀堂と貧乏神除け神社もお参りしました。貧乏神除け神社は初めて聞いた神社なので?と思っていましたが、蛇型の宇賀弁財天さんだということでした。貧乏神はガマガエルの姿をしているので、それをやっつけるのは蛇だということらしいです。先に貧乏神除け神社に参って厄除けした後、銭亀堂にその名の通り、お金が貯まるようお願いしました。著名人のサインがたくさん飾ってありました。

今回行けなかったところ

あとは他の塔頭をめぐってお堂を軽くお参りして帰路につきました。家族へのお土産はよもぎだんごです。
 
もし子どもがいなかったら、山頂にある空鉢護法堂にも挑戦したかったなあと思いました。この空鉢も「信貴山縁起絵巻」飛倉の巻の鉢が由来となっているようです。そこまで行ければ、信貴山城址、松永久秀屋敷跡も…「麒麟がくる」をやっている今年、ぜひ見たかったです…
 
松永久秀は信長に背き、信長軍の総攻撃を受けながら、この城に50日間籠城し10月10日に落城、久秀も自害するのです。この時の信貴山城の天守は安土城のモデルともいわれています。俗に久秀は茶釜の「平蜘蛛」をかかえて大爆死したというのが伝わっていますが、真相はどうなのでしょうか?
 
まだまだ気になるところがある信貴山ですが、我が家からは日帰りで行ける距離なので、また来ようと思いました。その時は頂上の信貴山城址まで到達したいですね!
ホテルの裏にあった泉源地

【拝観】東大寺戒壇院戒壇堂

戒壇堂のパンフレット 広目天様!

【東大寺HP】 

※現在、保存修理・耐震化工事のため拝観停止中(7/1より約3年間)
7/4(土)からは千手堂が代わりに拝観できます。(詳細はHPへ↑)

7/23(木)よりお堂の四天王像は東大寺ミュージアムで展示されています。
【東大寺総合文化センター お知らせ】 

私と東大寺戒壇堂

東大寺には他のお寺よりもとても親近感を覚えています。
それは、学生時代から東大寺のふもとで暮らし、学び、幾度となく訪れたことがあるからだと思います。東大寺の行事とともに季節の移り変わりを知ることが当たり前でした。

お堂それぞれの思い出や印象を持っていますが、戒壇堂は度々訪れたくなるところです。正確にはあの天平の四天王像に会いたくなるのです。こう書くと、アントニオ猪木にビンタされに行くファンの心理に似たものがあると思います。
今回の訪問は「耐震工事前にお堂でみられる四天王像はしばらく見納め」という考えがあったものの、もう一つ「なんだか疲れている自分の背筋をシャンとさせたい」という思いのもと訪問しました。

滑り込み拝観

拝観したのは6月27日。拝観停止は30日。文字通り滑り込みセーフでした。

当日は子供を預け、午後一番で自分の用事を済ませました。東大寺に向かうとギリギリ拝観時間に間に合いました。というのも、コロナウィルスの影響で拝観時間が16時までに短縮されていたのです。電車に乗る段階でヒヤヒヤしていたのですが、腹をくくって、近鉄奈良駅からは走って向かいました。久しぶりの「駅からダッシュ」です。

東大寺戒壇堂に行く最短ルートは?

戒壇堂は東大寺のお堂の中で一番西側(駅側)になります。いろんなルートから入れますが、駅から行くならこのルートが単純明快でいいのでは?というのを提案します。

  1. 近鉄奈良駅出口1または2から東大寺方面に向かうのは同じ。(赤線)
  2. 東へまっすぐ進む。出口1でも2でも、地下道に入ったら東大寺方面北東の地上出口から出る。そうしたら北へ進む。
  3. 次の交差点で右(東)に曲がる。そこを進むと正面に若草山、東大寺大仏殿の鴟尾、依水園の入り口が見えてくる。これは結構良い写真スポットだと私は思っています。(車も通るので気を付けながら)
  4. どん突きを道なりに左(北)へ進む。そのまままっすぐ。
  5. 突き当りに石の階段があります。(下の写真がそうです)そこを登れば戒壇堂があります。
地図 近鉄奈良から東大寺戒壇堂

※青線は「そっち通ると白壁の屋敷の間の小道で雰囲気がいいよ!」というルートです。

東大寺戒壇院戒壇堂
戒壇堂 水門町からの眺め

戒壇堂の魅力

戒壇堂はかつては受戒といって僧になるための厳粛な儀式が行われていた場所です。そのためか、お堂の中は普段は薄暗く、空気が止まっているような、静謐な感じを受けます。それが魅力の一つです。

入るとまず、お堂いっぱいの台座の上に多宝塔がドーンと中央にあります。多宝塔も結構大きいのでビックリします。そして、四天王像が四方を護っています。個人的にはこの四天王像各像を一つずつ眺めるのが、とても心が落ち着きます。残っている彩色も見えたりしますし、思っているよりも近くで見れている感じがします。台座の関係で、踏まれている邪鬼も物理的に近いです。自分の心持によっては、邪鬼に心寄せることもあるかもしれませんね!

今回は駅から走ってきて、到着したころにはゼーゼーハーハー息も荒く、頭から湯気が出ているような状態でした。こうしてお堂をグルグル回るように各像を拝見していくと呼吸も精神も整っていくような気がしました。湯気として出ていたのは、日ごろのウップン、弱ってた部分かもしれません。それを四天王像各位に浄化していただきました。
ありがとうございました!

今度は千手堂へ

戒壇堂が約3年ほど拝観停止になる代わりに西隣の千手堂が特別公開されています。歴史の中で何度も焼失しながら再建されてきました。普段はひっそりとしていて気に留めたことはありませんでした。

今度はこちらにぜひ拝観したいと思います。こちらのお堂には厨子入千手観音像・四天王像・鑑真和上像(いずれも重要文化財)等がいらっしゃるそうです。リンクの方もぜひご覧ください。納められている厨子の復元された扉絵も見事!こちらも見所では?
千手堂の歴史

戒壇堂の四天王像は東大寺ミュージアムでもう会えるようなのでご心配なく。どうやら法華堂の日光・月光菩薩と「天平美仏 夢の競演」らしいです。またこちらも行かなくてはいけませんね。

【展覧会感想】奈良県立万葉文化館「くもんの子ども浮世絵コレクション 遊べる浮世絵展」+飛鳥池工房遺跡

遊べる浮世絵展

【美術館HP(展覧会ページ)】 

【会期】4/25(土)~6/21(日) 
※新型コロナの影響で5/19(火)からの開館

自粛明け初めての展覧会

5/31(土)に久しぶりに美術館に行きました。コロナの感染拡大前に滑り込んだのが、2月末の大和文華館。そこから約3ヶ月…

奈良県内の県立美術館と万葉文化館はまだまだ自粛の中にあって5/19から開けてくれていました。その頃は県またぎの移動が出来ませんし人は少ないだろうなと思っていました。私が行った時間帯(土曜午前)で同じ空間にいたのは3,4組だったと思います。

館内の感染予防対策

  • 入り口でのアルコール消毒と注意書きの紙を渡されました。スタッフの方が常時おられる感じです。
  • 窓口、もぎりはビニールカーテンで仕切られていました。
  • 看視員さんもフェイスシールドされていました。
  • 地下は閉鎖されていました。
  • 展示室、ショップ、レストランの前にも消毒が置いてありました。
  • 展示室内には、角々に2m空けるよう案内板がありました。
万葉文化館掲示板
万葉文化館掲示板 
万葉文化館からのお願い
入り口で配られた「万葉文化館からのお願い」

人が少なかったので、自然と間隔も開き、特に堅苦しい感じもなく見ることが出来ました。

概要

さて、展覧会は特別展「くもんの子ども浮世絵コレクション 遊べる浮世絵展」。あの「公文」がこんなコレクションを持っているというのは初めて知りました。チラシには1986年から史料の収集と研究を続けてきたとあります。
WEBを見るとコンテンツが充実していたので、またゆっくり見たいなと思います。

公文教育研究会による浮世絵の収集と研究は、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの絵画資料を用いた中世ヨーロッパにおける子ども研究に触発されて1986年からスタートしました。現在、子ども浮世絵を含めた3,200点におよぶ子ども文化史料を保有しています。「くもん子ども浮世絵ミュージアム」では、保有する文化史料の中の約1,800作品(約2,135点)の子ども浮世絵を公開しています。 そこには日常生活や季節の行事の中で遊ぶ子どもの姿や、子どもをめぐる情愛豊かな情景や、まめまめしく子どもの世話をする母親など、子宝思想のもと子どもたちが家族や地域の大人たちに大切に育てられ、そして成長していった様子が生き生きと描かれています。「子ども浮世絵」を通してそこに描かれた子ども文化をしばしご堪能ください。

くもん子ども浮世絵ミュージアム HPより https://www.kumon-ukiyoe.jp/

盛り沢山の内容でした

子どもの遊びや生活の様子、節句の飾り、判じ絵(絵のなぞなぞ)、絵双六などおもちゃ絵、子どもに人気のヒーロー関連、百鬼夜行などモノノケ関連とさまざまな作品が並んでおり、気楽に楽しく鑑賞できました。子どもの姿は絵の中とはいえ現代に通じるものがありました。

浮世絵の絵師はそんなに詳しい方ではないですが、歌川国芳の戯画「ほおずきづくし」や鈴木晴信・喜多川歌麿の浮世絵、群魚・虫といった物尽くしもあったりして、ちょっと私得な展示でもありました。

組立絵

展示の中に「組立絵」というものがあったのですが、つまりはペーパークラフトのことです。

古典の物語の一場面(館の様子等)や甲冑などありました。一枚の紙にパーツをギュっと詰めて印刷されており、切り取って組み立てたようです。これも考えて作る人はすごいですよね。國學院大學大学院美術史ゼミの方々による実際に組み立てたものも展示されていて、より興味がわきました。
こんなゼミ楽しいだろうなあ。

金太郎=坂田怪童丸=坂田金時⇒源頼光⇒酒呑童子の話

展示を見ていて、この金太郎と酒呑童子のつながりをわかってないことに気づきました。勧善懲悪で江戸時代では人気の物語だったそうです。

実際の浮世絵を見ていると興味がわいてきたのでちょっと本など読んでみようかなと思います。『まんが訳 酒呑童子絵巻』(ちくま新書) あたりから始めてみようかな。

思わず絵に話しかけそうに

「1 愛される子どもたちー江戸の暮らしと風俗ー」の章
喜多川歌麿筆「名所風景美人十二相 赤子に乳を飲ませる母」では、赤子がこちらを見ながら、乳を引っ張って吸っている光景が描かれていて驚きました。あまりにも現代と変わってないと感じました。まさに自分事として非常に共感し、思わず笑顔に。
他にも、歌川国芳筆「山海愛度図会 乳が呑たい」といった作品もあり、いつの時代も赤ちゃんの仕草って変わらないのねと微笑ましく見てしまいました。

まとめ

今回は子ども自身が遊んで楽しむ作品やオモチャがありましたが、大人たちが子どもに向ける”まなざし”のようなものを表現している作品もありました。
「七つまでは神のうち」の言葉にあるように、子どもはあの世とこの世を往き来する存在とされています。特に昔は幼くして亡くなる子どもも多かったので、絵のなかではその儚さを永遠に留めたい願いもあったのでしょうか?少なくとも絵師の眼を介しては、とても温かく見守られていたように思います。

たくさんの子どもが描かれているだけで子孫繁栄=縁起良いものですよね。その描かれる姿は時代を経ても変わらないように思いました。思わずしみじみとした展覧会でした。

おまけ1:飛鳥池工房遺跡

万葉文化館は飛鳥池工房遺跡の上に建てられています。この遺跡では富本銭が鋳造されていたこともわかっています。そういう富本銭を作るワークショップなども以前は実施されていましたね!
遺跡も発掘した状態で保存されているのが廊下から、そして外に出て近くで見ることが出来ます。興味のある方はぜひ!

飛鳥池工房遺跡
飛鳥池工房遺跡キャプション

おまけ2:久しぶりに子連れで鑑賞

子供と一緒に展覧会に行くのは、生後3ヶ月のとき以来です。久々の家族での外出で、「とりあえず近場で」ということになり、私のわがままに付き合ってもらいました。

前回(3ヶ月のとき)は途中で泣き出して、再入場と退出を繰り返し、授乳をはさんで、結局私だけが会場に戻って見るというハードモードでした・・・
今回は機嫌よく見始めたものの、途中から声を出し始め、展示室が響くので悦に入ってやめてくれません。夫のファインプレーで収まり、途中で寝てくれて、何とか最後まで落ち着いて見られました。
そのとき、看視員さんに「お母さん!」と声をかけられ、何かと思ったら、「(室内は)結構冷えるので、ひざ掛けか何かありますか?」と。「あ、ないんです。(忘れてた)」と答えました。その節は親切にありがとうございます。久々すぎて掛け物とか忘れてました!

~乳幼児連れの方へ~
・展示室内は冷えるので掛け物をお忘れなく。
・泣き出したり奇声をあげ始めたら、潔く外に出る。必ず再入場できるかの確認を。

せんとくん
入り口にいつもいる

【展覧会感想】大和文華館「水のめぐみ 大地のみのり」展

【大和文華館 展覧会ページ】

【会期】2020年2/21~4/5
※3/3より臨時休館、そのまま会期終了

美術館にいけなかった2ヶ月間

新型コロナウィルス感染拡大によって、美術館・博物館は臨時休館を余儀なくされました。私も春のシーズンに美術館に行けずムズムズしながら、命を最優先に考えてSTAY HOMEの日々でした。美術館に行かなかった期間としては出産直前と産後の3ヶ月間が最長だったので、それほどダメージは少ないように思います。

先日奈良でも緊急事態宣言が解除され、美術館等も再開する情報が聞かれるようになりうれしい限りです。その前に、臨時休館になる直前(2/29)に観に行けたこちらの展覧会について記しておきたいと思います。

どんな展覧会でも企画、広報、展示やいろいろ万全の状態で始められるように準備に尽力された担当の学芸員の方がいます。一番悔しいのはその方々ではないでしょうか?
「私は幸運にも展覧会を見られたので、嬉しかったです!楽しかったです!」という気持ちを伝えたいと思います。

全体の印象

展示全体から感じたことは、実に健やかであること。
この展覧会タイトルの副題に「野菜、果物、魚介の美術」とあり、まあそのままなのですが、要はこれらが豊穣・豊漁を願う、おめでたい意味を持って描かれたりしているということです。コロナウイルスの不穏な空気が漂う中、この人類不変のおめでたいモチーフを見て「ちょっと元気が出た」と思いました。
その意味での「健やかさ」がありました。

こういった作品は中国が始まりで東アジアに伝播します。田畑を耕し魚を取るという自給自足の生活は世俗から離れて暮らす者の理想となり広く人気となったためでした。それを中国・朝鮮の作品から日本のものまで見られるのは興味深かったです。

一番気になっていた作品は

一番気になっていた作品は、チラシ・ポスターにも採用されている岸連山筆「野菜涅槃図」(個人蔵)です。

これは見立涅槃図というジャンルの作品です。元となる仏教絵画の涅槃図は釈迦が入滅する場面を描いたもので、中央に横たわる釈迦が、その周りには悲しむ弟子たちやたくさんの生き物を描いています。江戸時代になり見立涅槃図が盛んに描かれ、そのうちの一つが大根を釈迦に見立てた果疏涅槃図です。

私は若冲が好きなので、最初見たとき若冲の果疏涅槃図を思い浮かべてしまい、「若冲にこんな作品あったっけ?」と考えてしまいました。若冲の作品は水墨作品でしたね。
伊藤若冲「果疏涅槃図」 (Google Arts&Cultureより)

若冲の方は形もかなりデフォルメしていてユーモラスな雰囲気がありますが、岸連山の作品は野菜たちのみずみずしい様子が伝わってきます。いろんなモノが描かれている画面なのにまとまりがあるように見えました。それは画家の構成力が効いているのもありますが、元の仏教絵画の涅槃図が頭に入っていてパロディとしても楽しめているからかもしれません。

そのほか気になった作品

富岡鉄斎筆「車海老図」「伊勢海老図」
とにかく新鮮なみずみずしい様子が伝わってくる作品。鮮度を絵に閉じ込めたといってもいいのでは。これは頂き物の車海老・伊勢海老のお礼の手紙に添えられた絵で、こんなお礼状が着たら贈ったほうも嬉しくなると思います。

李宗謨筆「陶淵明故事図巻」
自給自足の生活で隠遁者の理想像となった陶淵明。その故事の一つ、弦のない琴を弾く段が印象的でした。陶淵明は音痴だったのでこの琴をつまびいて音を想像して楽しんだというもの。音痴だったことにちょっと笑ってしまいましたが、なんとも風流なエピソードですね。

明るい画面で華やかな作品。蝶もおめでたいモチーフです。パステルのようなやさしい色調の草花や野菜と鮮やかな色の蝶の対比がきれいです。中国・清時代の作品ということで、西洋絵画の技術も使われたのかな?と思わせる作品です。

最後に

観に行った日は土曜日で、ちょうど14時からの列品解説があるところでした。担当の学芸員さんから展示スペースで各作品の解説を聞けるというものです。一時間程度、途中で輪から抜けても入ってもよいというスタンスなので気軽に参加できます。(入館していれば無料です)

私はこの解説にめったに遭遇することがなくて(むしろちょっと混むので、あえてはずすことが多いです)、最初だけ聞いてみました。わかりやすく丁寧に解説されていて、キャプションだけでは頭に入ってこないこともスッと理解できました。これを目当てに来られてる方も多いでしょうし、支持されているから長く続いているんでしょうね!



新型コロナウィルスがもたらした社会への影響は美術館の教育普及の取組み、来館者を増やすための方策にも大きな変革を迫っています。
この大和文華館でも講演や独自の講座、音楽のコンサートなどいろいろなイベントを毎回企画していました。それがafterコロナ、withコロナの世界ではリスクとなってしまうのは本当に残念です。しかし、悪いことだけではなくて、オンラインの活用など地方に住む人間にとってはこれから可能性が広がることも増えてくるように思います。どちらにしろ、大きな転換点を迎えていると思います。

私に出来ることは、感染対策を個人でもきっちりやって、再開する美術館の展覧会に行くことです。今回のことで途中で休館になってしまったり、開くことさえ出来なかった展覧会(そしてその担当の学芸員さん)のことを思うと悔しい気持ちですし、行きたいところには行っておくべきだなと思いました。

【展覧会感想】奈良国立博物館「毘沙門天―北方鎮護のカミ―」展

【美術館HP(展覧会ページ)】 

【会期】2/4(火)~3/22(日) 
※3/15(日)まで休館中。再開時期は未定。

現在休館中です

先日、開催中の「毘沙門天展」に行ってきましたが、現在、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、奈良国立博物館も3/15まで休館することが決定しました。(実質3/16(月)まで?)

国立文化財機構 国立博物館等臨時休館のお知らせ

今後どうなるかは注視しなければいけませんが、また再開したときの参考になれば幸いです。

毘沙門天とは

毘沙門天は、四天王像の北方を護る多聞天が独尊として祀られたものです。

展覧会のページには以下のように説明してあります。

四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)は、須弥山(しゅみせん)世界の四方にいて、仏教世界や仏法を守るカミです。このうち北方を守護する多聞天は、「毘沙門天」の名で単独の像としても造像、信仰され、四天王のなかでも特別の存在でした。

仏教の中にあって「神様」なのが不思議ですね。もとは古代インドの神様だったのが仏教世界に入って現在の姿になっています。○○天とつく神様はそういう出自をもつ存在です。上杉謙信が信仰していた印象が強くて武運長久・勝負ごとに願掛けする神様というイメージが強くありました。もちろんそういう意味を含めたお像もありますが、それよりも福徳をもたらす神様として信仰されていたらしいです。七福神に入っているのはそのためです。

噂で毘沙門天しかいないと聞いていましたが、本当にそうでした。
でも、それぞれ個性的で、おもしろい!知らなかったことがいっぱいで学びの多い内容でした。

驚いたこと

毘沙門天にも種類があること。独尊のお像しか知りませんでしたが、妻・吉祥天と子・善膩師童子(ぜんにしどうじ)との三尊像、双身(そうしん)毘沙門天像、兜跋(とばつ)形毘沙門天像とバラエティ豊かでした。

特に吉祥天・ 善膩師童子との三尊像は微笑ましい感じでした。鞍馬寺の三尊像がチラシ等にも載っていたもので、毘沙門天が額に手をやり遠くを眺めるようなポーズがかっこよかったです。(このポーズは後補らしいです。後補GoodJob!)同じく高知の雪蹊寺の三尊像で湛慶作で、他の像とは一線を画す表現でした。無著・世親像みたいなリアルな表情でした。

次に、双身は二体の毘沙門天像が背中合わせにくっ付いている状態でした。それぞれの口から出た牙がつながっていたのがなんとも滑稽でちょっと笑ってしまいました。これは勝敵(しょうじゃく)の意味で使われた像。調伏の修法の際に拝む像だそうです。

そして、兜跋(とばつ)形は中国、西域での姿を伝えるお像。なので宝冠や鎧などが個性的で、足元は邪鬼ではなく地天女・ 二鬼(尼藍婆ニランバ、毘藍婆ビランバ)が支えています。東寺の像が出展されていましたが、これは唐時代のもの。それが真似されて広がったことや伝播の中で改変されたことがわかりやすかったです。

好きな毘沙門天

今回は気になるお像がいっぱいあったのですが、その中でも好きだったのが岩手県浅井智福愛宕神社の毘沙門天像です。このお像は他のお像とは雰囲気が違っていました。
なぜかというと、全体がなた彫りだったからです。他はすごく細かい鎧の装飾や細工があったりするのに、これだけなたの彫り筋だけが文様となってすごく渋い雰囲気でした。しかも居たはずの尼藍婆、毘藍婆がなくなっていて、大きくてズッシリした体躯の毘沙門天を地天女が一人がんばっていたのがすごく印象的でもありました。東北らしい実直な感じがして、神社に祭られている「神像」として相応しいなと思いました。

もうひとつの主役「邪鬼」

毘沙門天はもれなく邪鬼をふみつけていました。仰向けだったり、うつ伏せだったり、時には結構アクロバティックな格好だったりします。恨めしそうに毘沙門天を仰ぎ見ているのですが、表情もなんだか憎めないですね。今回の展示では、邪鬼にも玉眼を入れているものもあり驚きました。
あと、 兜跋形の地天女(邪鬼ではないですが)、尼藍婆、毘藍婆の三人組は愛らしい!福岡県観世音寺の二鬼は毘沙門天に遠慮して、背後から覗き込んでいるような表現になっていて可愛らしかったです。

1Fのフォトスポット 向かって右が兜跋形毘沙門天です。ちょっと雰囲気違いますよね。

尼藍婆、毘藍婆のDAIGOさんばりのウィッシュポーズ、これはもう「映え」ですね!今回でこんな愛されキャラが発掘されるとは思いませんでした。御礼を言いたいくらいです。奈良博さん、ありがとうございます!

今のところ、展覧会が再開されるか何も発表されていませんが、少しでも開いてくれたらいいなと願いをこめて、ここに記しました。それくらいオススメしたい展覧会でした。

まったりとくつろぐシカ達